Columbia University Japanese Language Program

2010 Sakubun Contest

2010年一年生作文コンテスト結果発表

第1位 イゾー・ヒョー (Feng Yizhou)「その時にかえりたい」

第2位 ヒンジ・チョー (Hyun Jee Cho) 「十三さいのたんじょう日」

第3位 チンラン・ルー (Qinglan Lu) 「わすれられない夏」

第4位 ジェシカ・ウァーリン (Jessie Werling) 「私がおばになった時」

第4位 みちえ・あだち (Michie Adachi) 「重いおもいで」

第1位 イゾー・ヒョー (Feng Yizhou)「その時にかえりたい」

小さい時、父が よく 出張したから、あまり家に いませんでした。いつも 母は 自転車で わたしを 学校に 連れて 行って くれました。毎朝七時に、母は わたしを 学校に 送って、働きに 行きました。夜六時に 学校が 終わってから、わたしは ゲートを出ました。母は もう そこに 待って いて くれました。毎日、雨でも、雪でも、母が 自転車に 乗って いる時、わたしは 後ろの 席に 座って、学校に 通って いました。

母は 医者だったから、よく 残業がありました。家に いつも わたしと 母が 二人 だけ いたから、母が 残業しなければならない時、私は 学校が 終わって から、母が 働いて いった 病院へ 行きました。宿題を したり、病院の 中に ある 公園で 遊んだり、母を 待ちました。帰る とき、もう 遅かった です。街には 人や 車が あまり 見えませんでした。街灯の 暗い光の 中に、母は 自転車で わたしを 連れて、静かな道を 行きました。母も私も 何も 言いませんでした。聞こえるのは 車輪が 回って いる 音 だけ でした。風が 涼しくて、ゆっくり 顔を 吹きました。わたしは 自転車の 後ろに 座って、時々 母の シャツ から、 ソープの軽くて、いい においを 嗅ぐ ことが ありました。空には 月が あまり 見えませんでした。夜の 黒い 空は 朝の より 広かったです。人が 少ない 道も 大きく なりました。母と 母の 後ろに 座って いる 私は そんなに 広い 空と 道と より きっと 小さかったです。でも、私は 全然 恐くなかったです。母の 背が 弱かった ですが、わたしの 目の 中には 一番 安心で、あたたかい所 でした。

それは 十年前 のことでした。でも、思い出したら、自転車の 後ろも 母のシャツの いい ソープの においも はっきりと 覚えて います。今、街は 大きく 変えました。地下鉄や 便利な バスが あって、自転車の 道は どんどん 狭くなりました。母も 車を 買って、自転車に 乗りません。よく 考えたら、母は もう 50歳ぐらい です。わたしも 大きくなりました。自転車で わたしを どこか 連れで 行きたくても、できません。それに、今 家から 遠い所で 勉強しているので、絶対 無理です。寂しい時、電話を して、母の声を 聞いたり、メールを 書いたり する ことが できます。いつも それは 十分だと 思いますが、夜 寝る時と 図書館へ 行く 時と コンビーニで 払う 時と この 作文を 書いて いる 時、つい 母が 自転車に 乗って、小さな 私が 後ろに 座って いるのを 思い出します。やはり 忘れることが できません。

その 時に 帰りたい。

第2位 ヒンジ・チョー (Hyun Jee Cho) 「十三さいのたんじょう日」

 

 



第3位 チンラン・ルー (Qinglan Lu) 「わすれられない夏」

六年前の夏に、私は イギリスへ 留学に 行きました。その夏は 忘れられない思い出に なりました。
その時に 私は十三歳でした。それは はじめての 外国へ いくことでした。そして、はじめての 両親が いっしょに いかない旅行でしたから、 少し心配でした。ですけど、学校の 友達20人と 先生3人と いっしょに いきましたから、安全でした。

私たちが 行った町は ロンドンの 近くに あります。なまえは チェルトナムです。小さくて、あまり有名じゃありません。でも、しずかで、きれいなまちです。私は ホームステイしました。うちから 学校まで あるいて 20分ぐらい かかりました。毎朝、 ホストファミリーが 作ったごはんを 食べてから、学校へ 英語を 勉強に 行きました。午後三時ごろ、うちに 帰ってから、ホストファミリーの ねこと いぬと あそんだり、えいごの テレビを 見たりしました。じつは その時に 私は 英語が あまり上手じゃなかったから、テレビ見ても なかなか わかりませんでした。でも 私は「わからなくても、 リスニングを 練習しなければならない」と思いましたから、毎日見ました。

毎晩 イギリス料理を 食べましたが、あまり好きじゃありませんでした。その町は 中国料理が ありませんでしたから、ざんねんでした。ある日、ホストファミリーに「中国の カップヌードルを たべたことが ありますか」 とききました。ホストファミリーが「まだです」と言いました。ですから、私が 中国から 持っていった カップヌードルを 作りました。おいしかったです。ホ ストファミリーは そのカップヌードルが とても好きでしたから、「あしたも このヌードルを たべませんか」とききました。みんな たのしかったです。

週末に ホストファミリーは 私を ロンドンや オックスフォードへ つれていって くれました。 たくさんロンドンの 古くて、すてきな 建物を 見学しました。とても うれしかったです。
そのなつは おもしろかったです。私は英語を 勉強したり、新しい友達と あったり、いろいろな所へ 旅行をしたりしました。うちに 帰ったとき、「大学で、留学したい」と思いました。六年後の今、私は アメリカに 留学していますが、時々その夏を 思い出します。

第4位 ジェシカ・ウァーリン (Jessie Werling) 「私がおばになった時」

私の母が父にあう前、父はけっこんしていました。その女の人と子どもが二人いました。コーリーとジェーピーは私の半ぶんの兄弟です。それから、私が15さいの時、コーリーは30さいでした。

コーリーは9年前にけっこんしました。せが高いしゅじんの名前はデーブです。デーブとコーリーはきいろくてかわいいいぬを買いました。6年ご、私はコーリーからEメールをもらいました。コーリーは「私たちはいぬボーちゃんは友達がほしいんだと思います。」と言いました。でも、じつはボーちゃんは、そのあとすぐ、「お友達」ができました。コーリーはその時、おなかの中に赤ちゃんがいたんです。そうです。ボーちゃんの友達は、コーリーの赤ちゃんだったんです。

このニュースを聞いた時、私の家族はとてもうれしくなりました。たくさんプレゼントを買ったり、赤ちゃんの部屋をじゅんびしたりしました。母と私が手つだいました。9か月あとで、赤ちゃんが生まれる時が来ました。コーリーが病院へ行って、私と母が病院の待ちあいしつで待ちました。

やっと、いしゃが出てきました。いしゃは ニコニコして赤ちゃんは女の子だと言いました。すぐ私と母はコーリーと赤ちゃんを見に行きました。生まれた赤ちゃんを見たことがなかったから、 赤ちゃんを見た時、 びっくりして、うれしかったです。 新いいのちでした。 赤い女の子は小さくて、目が大きくて青かったです。私のゆびをやさしくつかみました。 その時のことがわすれられません。すごかったです。

今、その女の赤ちゃんは3さいで、名前はサーリーです。今サーリーはいもうとがいます。家族がだんだん大きくなります。

第4位 みちえ・あだち (Michie Adachi) 「重いおもいで」

私のおもいでは何ですか。旅行した事がたくさんありますから、このしつもんはむずかしいです。でも。。。
ドン。。。ドン。。。ドン。。。ドン。。。
す もうですか?日本へ行ったおもいでの中で、一ばんたのしかったおもいではすもうを見たことです。十年前に りょうごくへ行きました。りょうごくは東京にあ ります。よこずなむさしまる と朝ごはんを食べました。むさしまる は ハワイからきたりきしです。父の友達は むさしまるのサポーター ですから、むさしまる に あう事ができました。 子どもの時、私はすもうがこわいとおもいました。むさしまる はとても大きい男の人ですから。百九十一センチメートルで、二百十三キロです。毎日りきしは たくさん食べたり、お酒をたくさん飲んだりします。食べたら、ねます。それから、れんしゅうします。ポッチャポッチャですが 強いです。れんしゅうもたい へんです。やさいや 肉が たくさん入っている たべもので これはあまりおいしくないです。これを毎日食べて ビールを飲んで強くなります。すごいです ね。強いですが、すもうはからだにはよくないです。すもうはたのしかったですね!これは私の思いおもいでですよ!

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