| 第1位 ヘユン・チャン (Hea Youn Chung)「その三日間」
第2位 パトリック・ウッズ (Patrick Woods) 「合格通知をもらった事」
第3位 アンジェラ・リー (Angela Lee) 「音楽のよろこび」
第4位 ヘヨン・ソ (Hye Yean Seo) 「ロッテのガム」
第5位 ヘイナ・ステラ・キム (Hye Na Stella Kim) 「重いおもいで」
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第1位 ヘユン・チャン (Hea Youn Chung)「その三日間」
そのひはさんがつだったけど、まださむかったです。私は三年前から日本の東京でピアノのコンサートをしています。
今年は春休みにコンサートがありましたから、3月10日にJFKからひこうきにのりました。私のとなりにすわった人はアメリカ人ですが、ひこうきにのったときからずと日本語のじしょを見ていました。
その人の名前はPaulです。Paulさんは東京に1年間住んでいたことがあると言いました。なるほど私より日本語が上手でした。私たちは友達になって、日本語で話しました。その時は本当に楽しい時間でした。 13時間ぐらいたって、ちゃくりくの1時間前にCaptainが きないほうそうで、「Sendaiのとなりでじしんがあって、NARITA 空港がしまったので、札幌に降りなければならない」と言いました 。けっきょくこのひこうきはさっぽろにちゃくりくしました。じょうきゃくはそのときまでつなみのことをしらなかったんですが、待っている時間が長くなって 私もしんぱいになりました。「つぎのひのコンサートはどうなる?、姉と東京旅行は?」ちゃくりくしてから、きないほうそうでは、ずっと「いま,まだじょうきょう がわからないから, サインをまっています。 もうしばらくお待ち下さい」といいました。
私はロミングができるIphone を持って来たからちょくせつけいたい電話をつけて東京にいる姉に電話をしました。でんわはできませんでした が けっきょくテキストメッセージがおくれました。あねはもちろんわたしのことをしんぱいしていました。東京はSENDAIからとおいけど、じしんが大きかったら、東京もこうつうがぜんぶしまってしぶんも帰ることができないと言いました。
私のけいたいのでんちはあまりありませんでしたから、私はトイレのコンセントを使ってチャージをしました。
ひこうきでもみんなIPHONEを使う人はトイレで待っていました。さいわいにかぞくにれんらくすることかできましたが、だんだんこわくなりました。ちゃくりくしてから10時間ぐらいたってひこうきではたべものやのみものがなくなりました。きないほうそうでずっと「たべものはびょうきの人とあかちゃんにゆずってください」と言いました。はじめてさっぽろにちゃくりくしたとき,PAULさんと私はほっかいどうは日本でいちばん有名な食べ物がある といってたのしみにしていましたが、だんだんこのこうきから、すぐおりたくなりました。
NYから日本まではひこうきで14時間ぐらいかかりますから、くうこうでチェクインする時STEWERDESSに「非常口のせきをおねがいしますと言いましたから、そのせきにすわれました。その時まで そのことがそんなにたいせつだとおもいませんでした。全部で26時間たってから、さっぽろしんちとせくうこうにとうちゃくしました。そのときは午前3じでした。くうこうにはたくさん人がいてみんなたいへんそうでした。むりょうのインタネットのところがあったけど、人がたくさんいたから、できませんでした。わたしは何回もあねにれんらくしましたが、あねは「さっぽろはにほんで今いちばんあんぜんなところだ」と言ったから、しんぱいしなくなりました。
それから、2日間くうこうにとまりました。つぎのひこうきをまっているときブラジルじんのDANIELさんと日本人のMARIKO さんとはじめてはなしてわたしたちはみんな友達になりました。くうこうのレストランでいっしょにおいしい北海度の有名なラーメンを食べていろいろな外国のせいかつについてはなしました。
この3日間で、私はびょうきになって、たいへんだったけど友達ができたからたのしかったです。かぞくのことと私の人生についてたくさんかんがえて,わたしはすごくLUCKYなひとだとおもいました。そして
どんなにたいへんな時でもいいことはきっとあると思います。
ありがとうございました。
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第2位 パトリック・ウッズ (Patrick Woods) 「合格通知をもらった事」
私の思い出は、コロンビア大学の合格通知をもらった事です。子どものとき何回もニューヨークへ行って、よかったですが、ニューヨークで勉強するとぜんぜん思いませんでした。それから高校で大学の入学をもうしこまなければなりませんでした。どんな大学に入りたいですか。もうしこんだら、どの大学はわたしをうけいれてくれますか。私は、アトランタに住んでいましたが、アメリカの南の大学に入りたくなかったです。小さい大学に入りたくなかったですが、とても大きい大学にも入りたくなかったです。でも、にぎやかな町の大学に入りたかったです。いろいろな大学を見始めました。でも、コロンビア大学についた時、コロンビア大学は好きな大学になりました。キャンパスはとてもきれいで、先生はとてもよくて、有名で、クラスはとてもおもしろかったです。そしてニューヨークにありました。アメリカの中で、一ばん楽しい町ですよ。
でも、大学を見る事は、やさしかったです。コロンビア大学の合格通知はとてもむずかしいですね。作文をかいて、めんせつをして、せいせきを送らなければなりませんでした。もうしこみしょはじゅういち月1日に送りました。それから、12月10日まで待たなければなりませんでした。毎日たくさん心配しました。四年私の高校の学生はだれもコロンビア大学の合格通知をもらった事がありませんでした。とても長く待ったあとで、12月10日が来ました。5時に私のコンピューターをつけました。合格通知のウェサイトへ行きました。。。クリックをしました。。。はい!合格通知をもらいましたよ!母はなき始めました。私はとてもうれしくなりました。その夜両親ととてもおいしいレストランへ行きました。楽しい日でした。私の思い出です。
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第3位 アンジェラ・リー (Angela Lee) 「音楽のよろこび」
みんなのおもいではなんですか?おぼえていますか?わたしのおもいではにねんまえのことです。そのとき、わたしはだいがくにCDをだしたいだから、レコ--ドさぎょうしつでうたをうたいました。わたしはおんがくがだいすきから、そのチャンスはとてもよかったです。そして、わたしはいつもレコードかいしゃでレコーデイングをするかしゅをうらやましかったですから、じぶんでさぎょうしつでれんしゅうするとき、とてもうれしかったです。そのさぎょうはまいにちよじかんくらいかかりましたから、たいへんでしたが、わたしにとってうたうことがいちばんすばらしいことだから、わたしはだいじょぶでした。さいしょうレコ--デイングをしましたから、ほんとうにおもしろくてたのしかったです。わたしのプロデユ--サ--がコンピユ--タ--でいろいろながっきでビ--ジ--エムをつくるとき、とてもすてきだとおもいました。わたしはいつもすきだったおんがく(ミユジカル、J-pop, K-pop, ジャ--ズ)をうたいました。そのとき、わたしのりょうしんがさぎょうしつにきて、おうえんしてくれましたから、わたしはいつもがんばりました。さいごのさぎょうがおわって、わたしはほんとうにかなしかったですが、わたしのともだちがわたしがあげたCDをよくききますから、わたしはとてもうれしいです。つぎに、チャンスがあったら、もういちどレコ--デイングをしたいです!
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第4位 ヘヨン・ソ (Hye Yean Seo) 「ロッテのガム」
私の一ばんきおくにのこるモメントは、私のさいしょのどくりつです。私は一人でいることをこわがる子どもでした。こう校まで両親とずっといっしょにくらしましたから、りゅう学はこんなんなけっていでした。しかし、私のゆめのために2007年三月国さい学を勉強しに日本へ行きました。両親はキムヘこくさいくうこうへつれていってくれました。くうこうはたびだつ人を見おくる人々が多くてかなしいふんいきにつつまれていました。私と両親はなかないようにおもしろいはなしをしたり、テレビを見たりしました。ついに私がのるひこうきのアナウンスがありました。むねがどきどきしました。すぐチェックインをしなければなりませんでした。私はなみだをこらえました。その時、母がハンドバックの中に何かをさがしていました。そして、母が一ばん好きなロッテガムをくれました。その小さくてきいろいガムを見て、なみだがでました。そのガムをもって日本へ行きました。そのあと、私のりゅう学せいかつは 今までつづいています。りゅう学せいかつはさびしくて、たいへんではないしゅんかんがないですが、母のふるえる手におかれていたガムを思ったら、がんばらなければならないと思います。 |
第5位 ヘイナ・ステラ・キム (Hye Na Stella Kim) 「わたしのいちばんいい思い出」
動物が好きですか。私はこどものとき、動物がとても こわいとおもいました。今は動物が大好きですが、こどものときは、こわかったです。でも、りゆう(reason) はわかりません。母はいまも ときどき、“いつも動物園(zoo) にいったとき、ステラちゃんはぞう(elephant) やライオンをみると なきました(cry)ね”といいます。
父は動物が ひとにとっていい友達になれるとおもいましたから、私が動物をこわがるのをみて、しんぱいしました。
あるひ、私が学校からうちへがえったとき、父は大きいバスケットをくれました。私が “これは何?”ときいても、父はおしえてくれなくて、”あけて”といいました。そのとき、バスケットがうごきました。こわいから、私はゆっくりバスケットのふた (lid) をあけました。あけたら、ちいさくてちゃいろいいぬがいました!
私はそのいぬに シャシャというなまえをつけてあげました。シャシャはすばらしくてかわいかったから、ぜんぜんこわくなかったです。毎日、私はシャシャと公園をさんぽしたり、あそんだり、シャワーをあびたりしました。いちどは、シャシャを友達にみせたかったから、かばんのなかにいれて、学校へもっていったこともありました。シャシャははじめはちいさがったけど、あとには大きくなりました。でもいつも私の友達でした。それから、私は動物がいくらおおきくても、こわくなかったです。
でも、6ねんご、私はいもうとと アメリカへ りゅうがくしに いかなければなりませんでした。父と母はアメリカへ私といもうとをみに きましたが、いぬのひこうきチケットがとてもたかかったから、シャシャはくることができませんでした。学校でべんきょうしなければなりませんでしたから、私はかんこくにかえることができませんでした。シャシャにあいたかったですが、なにもできませんでした。
それで、3ねんぐらいかん、シャシャにあうことがありませんでした。あるひ、いもうととがっこうからうちへかえったとき、おじさんとおばさんはいませんでした。しんぱいしていますが、なにもできませんでした。そのとき、そとがにぎやかだったから、私はそとへでました。そのとき、ちゃいろいものがわたしにとびこみました。シャシャでした!
父と母がアメリカにひっこししたいとおもいましたから、こんどはシャシャをつれてきました。シャシャはとしをとりましたが、まだ とても かわいかったです。私のいい友達が私にあいにきましたから、きぶんがとてもよくて、そのときはいままでもいちばんわすれがたいしゅんかんです。 |